命の輝き [なんでもない話]
なにこのタイトル?って言われそうですが、ぽんはこの言葉の響きが好きで、よく使います。
こっぱずかしい?まぁ、いいじゃないですか。
命というものはとても尊いもので、自分の命、大切な人の命だけでなく、そのほかの人、動物、植物、みな尊い命に違いありません。お寺というものに縁が増えたせいなのでしょうか、それとも悲しい別れや人生の試練みたいなものが続いたからでしょうか、命というものに対する考え方がここ数年でずいぶん変ったように思えます。
それまでは、命というものに漠然としたイメージしかなく、動物はともかく、植物にまで生命の息吹を感じることはほとんどありませんでした。だからと言って残酷な人間だったというのではなく、なんと言ったらいいのかな、ある一定よりも踏み込んで考えるということがなかった、そういうものでした。
それが今では、命というものにとても敏感になったような気がします。
命が失われるということがどういうことであるのか、そういうことが別れ・試練・巡礼の中でだんだんとわかってきたからではないかと思います。わりといい年齢なのに、やっとわかってきたというのもお恥ずかしい限りですが、命の大切さは人の親になったときに実感するものなのかなぁっと、ぼんやりと想像してみたりもします。
人の親になることはこの先も無いと思いますので、逆の視点からにしても、命の大切さを感じることができるようになったことは、よかったんではないかなぁと思います。
タイトルの「命の輝き」ですが、これをまぶしいまでに感じることができるのは、春から初夏にかけてではないかと思います。木々が芽吹き、花が開き、新緑が輝く…。動物をあまり目にすることのない都市部でも、植物が発する命の輝きは比較的感じやすいのではないかと思います。ですから、この春から初夏にかけて、花だけでなく、木々の緑を見ることがとても好きです。
さて、前置きが長くなってしまいました。
昨日の話なんですが、僕の住んでいる奈良はとても天気がよく、やや風が肌寒かったものの、空は澄み切った青で、命の輝きを感じるにはとてもいい日和でした。休みだというのに夜更かしが過ぎてしまったので、昼までしっかり寝てしまったのは惜しいことをしました。でも、まだまだ時間はあったので、まずは散髪へ行き、それから、いつもの大安寺さんでのんびりと過ごさせてもらおうと外へ出ました。
うちから徒歩1分のところにある公園は、ぽんが毎年花見というか、酒盛りというか、をする公園で、ここを通って散髪に向うことにしました。まだ、桜は3分咲きといったところでしたが、写真に収めましたのでご覧下さい。空の青さと花の色がきれいなコントラストになっています。
まずは紅梅。ここはぽんが「長ぼそ公園」と勝手に呼んでいる公園に咲いてました。
毎年こちらの公園の方がもうひとつの「お花見公園」よりも桜の開花が遅いので、時間差でお花見が楽しめるというありがたい仕様ですw(「長ぼそ公園」も徒歩1分のところにあります)

さて、もうひとつの「お花見公園」です。
ここはマンションのすぐ前にある公園で、子供たちもよく遊んでいます。

まだこのくらいの開花状況でした。




桜や梅ばっかりじゃないですよ。

この後、散髪を済ませ、コーヒーを購入して、大安寺さんに向います。
まずは撮影から。





デッキチェアに腰をかけて、コーヒーを飲みます。

空を見上げれば、鳥のさえずりが聞こえ、やや肌寒いが新鮮な風を頬に感じます。空はどこまでも青く澄んで、木々の緑は鮮やかに輝いています。

ふ~。
デッキチェアに身体をうずめて、何も考えずにこうした風景を眺めていると、自分も「命の輝き」の中に溶け込んでいくような気がします。この感覚、とても好きなんですよ(^^)
命に満ちたこの世界に自分が溶け込むことで、自分の命も輝くような、そんな気がします。
このかんじ、四国遍路をまわっているときによく感じることができた感覚で、歩いてまわればもっと強く感じることができるのではないかと思っています。遍路の魅力を聞かれて、車で一巡しただけの若輩者にもかかわらず、「四国遍路は寺と寺の間に真髄がある」などと偉そうに語ることもありますが、それはこの感覚をこの上なく貴重に思っているからだと思います。
お釈迦さまが入滅される時に「この世は美しい、人の命は甘美なものだ」と言い残したそうですが、こんな感じだったのでしょうか。僕も、こうしている瞬間に「世界は美しいな…」と感じることができました。
…どうも、感傷的な内容になってしまいました。
あとから読み返して、こっぱずかしくなりそうです(^^;)
こっぱずかしい?まぁ、いいじゃないですか。
命というものはとても尊いもので、自分の命、大切な人の命だけでなく、そのほかの人、動物、植物、みな尊い命に違いありません。お寺というものに縁が増えたせいなのでしょうか、それとも悲しい別れや人生の試練みたいなものが続いたからでしょうか、命というものに対する考え方がここ数年でずいぶん変ったように思えます。
それまでは、命というものに漠然としたイメージしかなく、動物はともかく、植物にまで生命の息吹を感じることはほとんどありませんでした。だからと言って残酷な人間だったというのではなく、なんと言ったらいいのかな、ある一定よりも踏み込んで考えるということがなかった、そういうものでした。
それが今では、命というものにとても敏感になったような気がします。
命が失われるということがどういうことであるのか、そういうことが別れ・試練・巡礼の中でだんだんとわかってきたからではないかと思います。わりといい年齢なのに、やっとわかってきたというのもお恥ずかしい限りですが、命の大切さは人の親になったときに実感するものなのかなぁっと、ぼんやりと想像してみたりもします。
人の親になることはこの先も無いと思いますので、逆の視点からにしても、命の大切さを感じることができるようになったことは、よかったんではないかなぁと思います。
タイトルの「命の輝き」ですが、これをまぶしいまでに感じることができるのは、春から初夏にかけてではないかと思います。木々が芽吹き、花が開き、新緑が輝く…。動物をあまり目にすることのない都市部でも、植物が発する命の輝きは比較的感じやすいのではないかと思います。ですから、この春から初夏にかけて、花だけでなく、木々の緑を見ることがとても好きです。
さて、前置きが長くなってしまいました。
昨日の話なんですが、僕の住んでいる奈良はとても天気がよく、やや風が肌寒かったものの、空は澄み切った青で、命の輝きを感じるにはとてもいい日和でした。休みだというのに夜更かしが過ぎてしまったので、昼までしっかり寝てしまったのは惜しいことをしました。でも、まだまだ時間はあったので、まずは散髪へ行き、それから、いつもの大安寺さんでのんびりと過ごさせてもらおうと外へ出ました。
うちから徒歩1分のところにある公園は、ぽんが毎年花見というか、酒盛りというか、をする公園で、ここを通って散髪に向うことにしました。まだ、桜は3分咲きといったところでしたが、写真に収めましたのでご覧下さい。空の青さと花の色がきれいなコントラストになっています。
まずは紅梅。ここはぽんが「長ぼそ公園」と勝手に呼んでいる公園に咲いてました。
毎年こちらの公園の方がもうひとつの「お花見公園」よりも桜の開花が遅いので、時間差でお花見が楽しめるというありがたい仕様ですw(「長ぼそ公園」も徒歩1分のところにあります)

さて、もうひとつの「お花見公園」です。
ここはマンションのすぐ前にある公園で、子供たちもよく遊んでいます。

まだこのくらいの開花状況でした。




桜や梅ばっかりじゃないですよ。

この後、散髪を済ませ、コーヒーを購入して、大安寺さんに向います。
まずは撮影から。





デッキチェアに腰をかけて、コーヒーを飲みます。

空を見上げれば、鳥のさえずりが聞こえ、やや肌寒いが新鮮な風を頬に感じます。空はどこまでも青く澄んで、木々の緑は鮮やかに輝いています。

ふ~。
デッキチェアに身体をうずめて、何も考えずにこうした風景を眺めていると、自分も「命の輝き」の中に溶け込んでいくような気がします。この感覚、とても好きなんですよ(^^)
命に満ちたこの世界に自分が溶け込むことで、自分の命も輝くような、そんな気がします。
このかんじ、四国遍路をまわっているときによく感じることができた感覚で、歩いてまわればもっと強く感じることができるのではないかと思っています。遍路の魅力を聞かれて、車で一巡しただけの若輩者にもかかわらず、「四国遍路は寺と寺の間に真髄がある」などと偉そうに語ることもありますが、それはこの感覚をこの上なく貴重に思っているからだと思います。
お釈迦さまが入滅される時に「この世は美しい、人の命は甘美なものだ」と言い残したそうですが、こんな感じだったのでしょうか。僕も、こうしている瞬間に「世界は美しいな…」と感じることができました。
…どうも、感傷的な内容になってしまいました。
あとから読み返して、こっぱずかしくなりそうです(^^;)
西国巡礼 第三十三番札所 谷汲山 華厳寺 [巡礼]
すっかりごぶさたしてしまいました。
今日のお話は先日、3/13にお参りした西国巡礼最後の札所「谷汲山(たにぐみさん) 華厳寺(けごんじ)」のお話です。
西国の満願札所ということで、一番から順にまわっていれば感動もひとしおなのでしょうが、何しろ今回の西国巡礼はご結縁開帳スケジュールにあわせての巡礼ですので、順番もばらばらです。華厳寺の前にお参りしたお寺が一番札所の青岸渡寺でしたから、なんか変な感じです。
さて、この華厳寺は岐阜県の揖斐川町というところにあり、結構、山に入っていかなくてはいけません。早朝に奈良を出発し、JRのみやこ路快速で京都、京都から新幹線で名古屋、名古屋から名鉄に乗り換えて、新岐阜駅まで行き、そこからは臨時バスに揺られること1時間弱、なかなか厳しい道のりでした。お遍路でもそうなんですが、乗り物を使った巡礼というと、とかく楽をしていると見られがちですが、時間に追われながらせかせかと慣れない乗り物を乗り継ぐのはわりと疲れるものなんですよ。

それはさておき、この日は朝から強い雨が降ってまして、気温もかなり低かったです。とにかく寒い。しかもバス停からお寺までは少し歩かなくてはなりません。寒さに震えながらの移動の開始です。四国遍路では、某ローカル番組のセリフではありませんが、「山が険しければ険しいほど、朝が早ければ早いほど、ありがたい」と感じたものですが、「線」として遍「路」に意味を見出すのではなく、「点」である札所をそれぞれ回る今回の西国巡礼では、寒いことがありがたいとはかんじられませんでした。西国巡礼に四国遍路ほどどっぷり浸かれないのは、おそらくそんな理由かもしれません。要するに日常の延長のお参りになってしまっているということでしょうか。四国遍路のように非日常に浸かるというのが、巡礼の本当の意味なのではないかと思います。
話がそれてしまいました。
両脇にみやげもの店の並ぶ舗装された道をしばらく歩くと山門が見えてきます。
途中には梅が咲いていました。



山門を裏から見るとこんなかんじです。

仁王様も立派です。


山門には大きなわらじが。

山門から本堂までは石畳になります。

山門のすぐそばには三十三度石(いわゆるお百度石かな?)があります。


本堂へ歩いていくと途中にはいくつかのお堂があります。
とりあえず二つだけ。


手洗いは本堂への階段の手前にあります。

むかいには観音さま。

本堂までの階段を登ります。



本堂への階段の中ほどには観音経の句を抜き出した柱が立っています。
よく見ると本堂から紐が伸びていますが、このひもはご結縁のひもで、ご本尊の十一面観音菩薩とつながっています。



本堂に向って、右手に石碑、その奥に鐘楼があります。


左手にはわりとかわいらしいデザイニングの灯篭。

本堂の柱には精進落としの鯉。これをなでると精進落としになるのだとか。

本堂に入ります。


中はお線香の煙がもうもうと立ち込めます。


ご本尊に向って、右手が納経所。

この華厳寺は他の札所と異なり、過去・現在・未来を示すご朱印があり、ご詠歌も3つあります。
3種のご朱印はここでまとめて頂きます。
ほら見えますか?
ご本尊につながったご結縁のひもです。

ご本尊さまは1955年以来の54年ぶりのご開帳だそうですが、とても距離が遠く、上から下がる幕があったので、よく見えませんでした。写真もありません。
お参りを済ませ、本堂の裏手へまわると、笈摺堂(おいずるどう)があります。
ここはすべての札所をまわって満願を達成した巡礼者が、それまで身にまとっていた白衣(笈摺)や杖、納経帳を納めるお堂です。




帰りに明王堂などにもお参りしたのですが、雨の中でかさと杖とカメラを持って寒さに耐えるのはとてもとてもつらかったので、ごはんをたべて、おみやげを買って帰路につきました。
ほんとは表のブログでご紹介するごはん写真ですが、今回はこちらで。
川魚定食。あまごの塩焼きと鯉のあらいがとてもおいしかったです。






今回は食べなかったんですが、同じお店の店頭ではお団子も焼いてました。

帰り道で寒さに耐えられず、入ったお店で五平餅と甘酒を頂きました。
お雛様がかわいらしい。このあたりは長く飾るんでしょうか。



さて、ご朱印をご覧いただきましょう。



余談ですが、この次の日はいつものお寺の大安寺さんでニの午厄除け法要に参加しました。


今日のお話は先日、3/13にお参りした西国巡礼最後の札所「谷汲山(たにぐみさん) 華厳寺(けごんじ)」のお話です。
西国の満願札所ということで、一番から順にまわっていれば感動もひとしおなのでしょうが、何しろ今回の西国巡礼はご結縁開帳スケジュールにあわせての巡礼ですので、順番もばらばらです。華厳寺の前にお参りしたお寺が一番札所の青岸渡寺でしたから、なんか変な感じです。
さて、この華厳寺は岐阜県の揖斐川町というところにあり、結構、山に入っていかなくてはいけません。早朝に奈良を出発し、JRのみやこ路快速で京都、京都から新幹線で名古屋、名古屋から名鉄に乗り換えて、新岐阜駅まで行き、そこからは臨時バスに揺られること1時間弱、なかなか厳しい道のりでした。お遍路でもそうなんですが、乗り物を使った巡礼というと、とかく楽をしていると見られがちですが、時間に追われながらせかせかと慣れない乗り物を乗り継ぐのはわりと疲れるものなんですよ。

それはさておき、この日は朝から強い雨が降ってまして、気温もかなり低かったです。とにかく寒い。しかもバス停からお寺までは少し歩かなくてはなりません。寒さに震えながらの移動の開始です。四国遍路では、某ローカル番組のセリフではありませんが、「山が険しければ険しいほど、朝が早ければ早いほど、ありがたい」と感じたものですが、「線」として遍「路」に意味を見出すのではなく、「点」である札所をそれぞれ回る今回の西国巡礼では、寒いことがありがたいとはかんじられませんでした。西国巡礼に四国遍路ほどどっぷり浸かれないのは、おそらくそんな理由かもしれません。要するに日常の延長のお参りになってしまっているということでしょうか。四国遍路のように非日常に浸かるというのが、巡礼の本当の意味なのではないかと思います。
話がそれてしまいました。
両脇にみやげもの店の並ぶ舗装された道をしばらく歩くと山門が見えてきます。
途中には梅が咲いていました。



山門を裏から見るとこんなかんじです。

仁王様も立派です。


山門には大きなわらじが。

山門から本堂までは石畳になります。

山門のすぐそばには三十三度石(いわゆるお百度石かな?)があります。


本堂へ歩いていくと途中にはいくつかのお堂があります。
とりあえず二つだけ。


手洗いは本堂への階段の手前にあります。

むかいには観音さま。

本堂までの階段を登ります。



本堂への階段の中ほどには観音経の句を抜き出した柱が立っています。
よく見ると本堂から紐が伸びていますが、このひもはご結縁のひもで、ご本尊の十一面観音菩薩とつながっています。



本堂に向って、右手に石碑、その奥に鐘楼があります。


左手にはわりとかわいらしいデザイニングの灯篭。

本堂の柱には精進落としの鯉。これをなでると精進落としになるのだとか。

本堂に入ります。


中はお線香の煙がもうもうと立ち込めます。


ご本尊に向って、右手が納経所。

この華厳寺は他の札所と異なり、過去・現在・未来を示すご朱印があり、ご詠歌も3つあります。
3種のご朱印はここでまとめて頂きます。
ほら見えますか?
ご本尊につながったご結縁のひもです。

ご本尊さまは1955年以来の54年ぶりのご開帳だそうですが、とても距離が遠く、上から下がる幕があったので、よく見えませんでした。写真もありません。
お参りを済ませ、本堂の裏手へまわると、笈摺堂(おいずるどう)があります。
ここはすべての札所をまわって満願を達成した巡礼者が、それまで身にまとっていた白衣(笈摺)や杖、納経帳を納めるお堂です。




帰りに明王堂などにもお参りしたのですが、雨の中でかさと杖とカメラを持って寒さに耐えるのはとてもとてもつらかったので、ごはんをたべて、おみやげを買って帰路につきました。
ほんとは表のブログでご紹介するごはん写真ですが、今回はこちらで。
川魚定食。あまごの塩焼きと鯉のあらいがとてもおいしかったです。






今回は食べなかったんですが、同じお店の店頭ではお団子も焼いてました。

帰り道で寒さに耐えられず、入ったお店で五平餅と甘酒を頂きました。
お雛様がかわいらしい。このあたりは長く飾るんでしょうか。



さて、ご朱印をご覧いただきましょう。



余談ですが、この次の日はいつものお寺の大安寺さんでニの午厄除け法要に参加しました。


ご朱印写真忘れてました(^^;) ~西国第1番札所 那智山 青岸渡寺~ [巡礼]
先日の「西国巡礼 第一番札所 那智山 青岸渡寺」の記事で、ご朱印の写真を貼り忘れてました。
記事に追記しようかと思ったんですけど、わかりにくいので、別記事にさせて頂きます。

ちなみに同じ日にお邪魔した「補陀洛山寺」のご朱印はすっかり忘れてまして、頂いてません。
惜しいことをしましたが、またお邪魔した時に頂こうと思います。
記事に追記しようかと思ったんですけど、わかりにくいので、別記事にさせて頂きます。

ちなみに同じ日にお邪魔した「補陀洛山寺」のご朱印はすっかり忘れてまして、頂いてません。
惜しいことをしましたが、またお邪魔した時に頂こうと思います。
補陀洛山寺 [お寺]
せっかく那智勝浦まで来たので、もうひとつお寺に行きました。
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)です。
熊野三山と同じく世界遺産の一部として登録されているお寺で、「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」で有名なお寺です。補陀洛渡海というのは、はるか南方の海上にあるという「補陀洛(ポータラカ)」という観音さまの浄土を目指して船出することで、一種の捨身行です。人々の希望と穢れを一身に背負い、浄土を目指すというのは強い信仰を感じますが、かならずしも信仰心に篤かったから船出したというケースばかりではないようです。
写真を見ていただければわかりますが、再現された補陀洛渡海船には扉がなく、渡海する僧侶が中に乗り込むと釘打ちしてしまったそうです。北風の吹く11月頃に船出をしたとのことですが、渡海僧たちはどうなったんでしょうか。どこかにたどり着いて新たな人生を送った者、殉教した者、ほんとうに浄土にたどりついた者…
どうなったのかはわかりませんが、それぞれに満足いく最期を迎えていてくれれば…と思います。
こちらのご本尊さまは千手観音さまですが、秘仏ですので、ご開帳のときでなければお会いできませんが、渡海僧たちが最期に祈りをささげていった仏さまですので、機会があればお会いしたいと思います。
それでは、写真をご覧下さい。
中に入るとご神木があります

観音さまとお地蔵さま

ふだらく水


本堂




こちらが補陀洛渡海船





補陀洛山寺(ふだらくさんじ)です。
熊野三山と同じく世界遺産の一部として登録されているお寺で、「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」で有名なお寺です。補陀洛渡海というのは、はるか南方の海上にあるという「補陀洛(ポータラカ)」という観音さまの浄土を目指して船出することで、一種の捨身行です。人々の希望と穢れを一身に背負い、浄土を目指すというのは強い信仰を感じますが、かならずしも信仰心に篤かったから船出したというケースばかりではないようです。
写真を見ていただければわかりますが、再現された補陀洛渡海船には扉がなく、渡海する僧侶が中に乗り込むと釘打ちしてしまったそうです。北風の吹く11月頃に船出をしたとのことですが、渡海僧たちはどうなったんでしょうか。どこかにたどり着いて新たな人生を送った者、殉教した者、ほんとうに浄土にたどりついた者…
どうなったのかはわかりませんが、それぞれに満足いく最期を迎えていてくれれば…と思います。
こちらのご本尊さまは千手観音さまですが、秘仏ですので、ご開帳のときでなければお会いできませんが、渡海僧たちが最期に祈りをささげていった仏さまですので、機会があればお会いしたいと思います。
それでは、写真をご覧下さい。
中に入るとご神木があります

観音さまとお地蔵さま

ふだらく水


本堂




こちらが補陀洛渡海船






熊野那智大社 [お寺]
西国巡礼の続きのおはなしです。
青岸渡寺に隣接して、熊野那智大社があります。
この熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の3つをあわせて熊野三山と呼ばれ、高野山とこれらを結ぶ参詣道(熊野古道)とあわせて、世界遺産に指定されています。
お寺のことはそこそこ詳しいつもりですが、神社のことはあまり詳しくないので、詳しく知りたい方はググって下さい。とりあえず、写真をごらん下さい。
青岸渡寺からの入口です

門をくぐると目の前にご神木があります

このご神木は穴が開いていて、中に入ることができます
木の上から出てくるんですよ

ご神木を反対側から

下を見るとこんなかんじ

本殿はこちら

別の角度から

別のお社も

本殿でお参りをします

おみくじをひきます
でかいでしょ?

重たかったので、ふつうのにしちゃいましたw
中身は同じだそうですから、許してね
表ブログやこちらのブログを見て下さっているみなさんのしあわせをお祈りしてひいてみました

中吉♪
神武東征のときに道案内をしたといわれる八咫烏

日本サッカー協会のマークはこの那智大社の八咫烏をデザインしたものだとか
よく見ると3本足でしょ?

最後になりましたが、大鳥居です
裏側からですけど
青岸渡寺に隣接して、熊野那智大社があります。
この熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の3つをあわせて熊野三山と呼ばれ、高野山とこれらを結ぶ参詣道(熊野古道)とあわせて、世界遺産に指定されています。
お寺のことはそこそこ詳しいつもりですが、神社のことはあまり詳しくないので、詳しく知りたい方はググって下さい。とりあえず、写真をごらん下さい。
青岸渡寺からの入口です

門をくぐると目の前にご神木があります

このご神木は穴が開いていて、中に入ることができます
木の上から出てくるんですよ

ご神木を反対側から

下を見るとこんなかんじ

本殿はこちら

別の角度から

別のお社も

本殿でお参りをします

おみくじをひきます
でかいでしょ?

重たかったので、ふつうのにしちゃいましたw
中身は同じだそうですから、許してね
表ブログやこちらのブログを見て下さっているみなさんのしあわせをお祈りしてひいてみました

中吉♪
神武東征のときに道案内をしたといわれる八咫烏

日本サッカー協会のマークはこの那智大社の八咫烏をデザインしたものだとか
よく見ると3本足でしょ?

最後になりましたが、大鳥居です
裏側からですけど

西国巡礼 第一番札所 那智山 青岸渡寺 [巡礼]
ねこぺんろの途中ですが、先日、西国巡礼でお寺に行ってきましたので、そちらのご報告を。
今回お邪魔しましたのでは、第一番札所 那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)です。
西国巡礼最初の寺になりますが、西国巡礼については四国遍路の時のように順番にまわっていません。西国巡礼中興の祖といわれる花山法王の一千年忌にあたる2008年から2010年まで、「ご結縁開帳」がそれぞれのお寺で行なわれています。もともとほとんどご開帳されない秘仏の仏さまも多い上に、今回のご開帳はただのご開帳ではなく、仏さまの指先に結ばれた紐に触れてお参りすることで縁を結べるという、それはそれはありがたいもので、生きている間にこのような機会に恵まれるということだけでも、もったいないほどのありがたさです。
ちなみに前回ご開帳の記録が一番古い頂法寺(六角堂)が1872年ということですので、一生かかってもすべての仏さまにお会いできないのが普通なんですよ。こんな話を聞くと、少しでもお寺が好きという人は気になっちゃうんじゃないでしょうか。早くまわった方がいいよーw
まぁ、そういうわけで、順不同でご開帳期間に標準を絞っての巡礼をしておりますので、変則的なまわり方となっています。
青岸渡寺の開基はあまりよくわかっていません。仏教が日本に伝わったのは6世紀半ばといわれていますが、伝承によれば、4世紀頃にインドからこの地にやってきた裸形上人がこのお寺の開基になったとされていて、日本仏教発祥の地であるかもしれないお寺です。世界遺産の熊野古道の中心地のひとつである那智大社に隣接し、裏手には落差133mを誇る日本三名瀑のひとつ「那智滝」(なちのたき)を臨む、自然に囲まれた神秘的な空間であることは間違いありません。
そんな青岸渡寺のご本尊は如意輪観音さまです。残念ながら写真はありませんが、遠目にみるお姿は片膝を立てた六臂(6本の腕)の異形のお姿で、なまめかしくすらあります。とても魅力的なお姿でした。
ながながと文章だけ読んでいてもイメージがわきにくいでしょうから、写真をごらんいただくことにしましょう。
まずは参道手前の那智の滝の入口。今回は時間がなかったので滝のところまで行けませんでした。

車を駐車場に止めて、参道入口へ向います。ほんとはもっと上まで上れるみたいですが、山門をくぐるためにはこの道からお寺へ向います。

苦手の階段…

上っていくと那智大社とお寺への分岐点

お寺は右です

ようやく山門が見えてきました

仁王像が迎えてくれます


上から見ると、ほらこんなに高いんですよ

手洗いの水は、延命の水

本堂はこちら



本堂内は巡礼の団体さんで溢れてます
でも、ぽぺ(あ、またぺんさんが同行してます)は一足早くお参りさせて頂きました

本堂のすぐ隣には那智大社

裏手にまわると梵鐘があります
時報用に突くとのことで、勝手に突くことはできません

梵鐘の横には熊野古道への入口?

そのむかいには大きな霊木があります

裏手に進むと那智の滝が見えます

ここは撮影スポットになっていて、記念撮影をしてくれる業者さんが「ハイ、な~ち」と合図を送る声が聞こえます
下を見ると、宿坊があります

もう少し滝に近づくと三重塔があります
この三重塔はエレベーターで昇ることができます
絵葉書にもよく見る構図、三重塔と那智の滝

いいお寺ですね(^^)
今回お邪魔しましたのでは、第一番札所 那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)です。
西国巡礼最初の寺になりますが、西国巡礼については四国遍路の時のように順番にまわっていません。西国巡礼中興の祖といわれる花山法王の一千年忌にあたる2008年から2010年まで、「ご結縁開帳」がそれぞれのお寺で行なわれています。もともとほとんどご開帳されない秘仏の仏さまも多い上に、今回のご開帳はただのご開帳ではなく、仏さまの指先に結ばれた紐に触れてお参りすることで縁を結べるという、それはそれはありがたいもので、生きている間にこのような機会に恵まれるということだけでも、もったいないほどのありがたさです。
ちなみに前回ご開帳の記録が一番古い頂法寺(六角堂)が1872年ということですので、一生かかってもすべての仏さまにお会いできないのが普通なんですよ。こんな話を聞くと、少しでもお寺が好きという人は気になっちゃうんじゃないでしょうか。早くまわった方がいいよーw
まぁ、そういうわけで、順不同でご開帳期間に標準を絞っての巡礼をしておりますので、変則的なまわり方となっています。
青岸渡寺の開基はあまりよくわかっていません。仏教が日本に伝わったのは6世紀半ばといわれていますが、伝承によれば、4世紀頃にインドからこの地にやってきた裸形上人がこのお寺の開基になったとされていて、日本仏教発祥の地であるかもしれないお寺です。世界遺産の熊野古道の中心地のひとつである那智大社に隣接し、裏手には落差133mを誇る日本三名瀑のひとつ「那智滝」(なちのたき)を臨む、自然に囲まれた神秘的な空間であることは間違いありません。
そんな青岸渡寺のご本尊は如意輪観音さまです。残念ながら写真はありませんが、遠目にみるお姿は片膝を立てた六臂(6本の腕)の異形のお姿で、なまめかしくすらあります。とても魅力的なお姿でした。
ながながと文章だけ読んでいてもイメージがわきにくいでしょうから、写真をごらんいただくことにしましょう。
まずは参道手前の那智の滝の入口。今回は時間がなかったので滝のところまで行けませんでした。

車を駐車場に止めて、参道入口へ向います。ほんとはもっと上まで上れるみたいですが、山門をくぐるためにはこの道からお寺へ向います。

苦手の階段…

上っていくと那智大社とお寺への分岐点

お寺は右です

ようやく山門が見えてきました

仁王像が迎えてくれます


上から見ると、ほらこんなに高いんですよ

手洗いの水は、延命の水

本堂はこちら



本堂内は巡礼の団体さんで溢れてます
でも、ぽぺ(あ、またぺんさんが同行してます)は一足早くお参りさせて頂きました

本堂のすぐ隣には那智大社

裏手にまわると梵鐘があります
時報用に突くとのことで、勝手に突くことはできません

梵鐘の横には熊野古道への入口?

そのむかいには大きな霊木があります

裏手に進むと那智の滝が見えます

ここは撮影スポットになっていて、記念撮影をしてくれる業者さんが「ハイ、な~ち」と合図を送る声が聞こえます
下を見ると、宿坊があります

もう少し滝に近づくと三重塔があります
この三重塔はエレベーターで昇ることができます
絵葉書にもよく見る構図、三重塔と那智の滝

いいお寺ですね(^^)
ねこぺんろ その12 - 11番札所「藤井寺」 [遍路]
2007年10月5日(金) 晴れ 最高気温27度
(徳島県吉野川市 11番札所「藤井寺」)
16時06分、11番札所「藤井寺」着。
正式名称は「金剛山(こんごうざん)一乗院(いちじょういん)藤井寺(ふじいでら)」
ご本尊は薬師如来さま。四国八十八箇所霊場の中で「てら」と読むのはこの藤井寺だけだそうです。また、これまでまわってきた10寺はすべて真言宗のお寺でしたが、このお寺は臨済宗のお寺だそうです。開基はお大師さまで、この地で自身と衆生の厄を払い、薬師如来像を刻んで、堂宇を建立したことが始まりだそうで、お大師さま堂宇の前に藤を植えたことから「藤井寺」の名がついたそうな。
「藤井寺」といえば、関西在住のぽんと関西在住歴のあるぺんさんにとっては今なき「藤井寺球場」のイメージが強く、写真撮影はバッティングフォームで。見えませんけどw
ぽんは藤井寺球場を本拠地としていた近鉄バッファローズから「ノリ」のフォーム(バットを投げてますw)、ぺんさんはなぜかイチローのフォーム(片足が上がってますw)で構えてます。なぜ?
…このあたりに世代を感じるのぉ。こんなポーズをとるあたり、遍路の厳しさがわかってない現われですなぁ。後から見るとなんと哀れな…。

山門には巨大なわらじ(長さ4mくらい?)があります。このお寺で始めて見ましたが、この先のお寺でも何度か目にすることになります。

お寺に到着すると「仙台バイクさん」と「やなぎや軍団」が先に到着されてましたが、ちょうど入れ違いになる形になりました。よかった。
そのかわりに9番札所の法輪寺で姿を見かけた初老のご夫婦が後からやってきました。法輪寺のところでは書きませんでしたが、このご夫婦はご朱印帳ではなく、掛け軸にご朱印を頂いているようです。ご朱印はご朱印帳以外にも、掛け軸、おいづる(遍路装束)にも頂くことができます。四国遍路公認のものでなければ頂けないのですが、おいづるは「死に装束」としては最高のものだそうです。時期が近づいたら、おいづるにもらうというのもいいかもしれませんね。ちなみに普通に着用するおいづるではなく、ご朱印を頂く専用のものに頂くそうです。
到着時間も中途半端で、次の12番札所「焼山寺」までは車で2時間と距離も遠く、道も険しいと聞いていたので、早々に次への移動はあきらめていました。当初の予定では初日は12番までまわるはずだったのですが、朝からさぬきうどんを堪能し、昼にはそばに舌鼓を打ち、なれないお経と団体によるかく乱戦法にやられ、時間をすっかり浪費してしまったことが原因なのですが、後から考えれば、初日に予定通りまわらなかったことが、あれほどまでに、ぽぺを苦しめることになろうとは、このときには露ほども感じなかったのです。
そんな先の心配はかけらもせず、10月にしては高い気温と、用意してきた長袖スタイルに汗をかきながら初日の行程を回ったぽぺは、ようやくおとづれた夕方のさわやかの空気と団体遍路のいない静かなお寺を満喫しながら、お参りをするのでした。でも、結局、お経の息はあわないままでした。11寺、22回もお参りしたのに…。









さて、この藤井寺の裏手からは、焼山寺まで歩いていける遍路道があります。距離は車移動よりも短くなりますが、四国遍路に残された最後の「遍路ころがし」と言われるほどの難所で、今までに読んだ歩き遍路行のどれをとっても、前半のクライマックスとして描かれる行程です。ぽぺはそんな遍路ころがしを歩くつもりは全くありませんでしたから、入口の看板だけを見て終わりにしました。そりゃそうです。車でまわってるんですからwww


「遍路ころがし」は歩き遍路だけではない…。
そんな現実に直面することになろうとは、このときのぽぺには予測すら困難なものでした。
とにもかくにも、初日の日程を終えたぽぺは、藤井寺を後にして、徳島市内のホテルへ向うのでした。
16時38分、藤井寺を出発。
(徳島県吉野川市 11番札所「藤井寺」)
16時06分、11番札所「藤井寺」着。
正式名称は「金剛山(こんごうざん)一乗院(いちじょういん)藤井寺(ふじいでら)」
ご本尊は薬師如来さま。四国八十八箇所霊場の中で「てら」と読むのはこの藤井寺だけだそうです。また、これまでまわってきた10寺はすべて真言宗のお寺でしたが、このお寺は臨済宗のお寺だそうです。開基はお大師さまで、この地で自身と衆生の厄を払い、薬師如来像を刻んで、堂宇を建立したことが始まりだそうで、お大師さま堂宇の前に藤を植えたことから「藤井寺」の名がついたそうな。
「藤井寺」といえば、関西在住のぽんと関西在住歴のあるぺんさんにとっては今なき「藤井寺球場」のイメージが強く、写真撮影はバッティングフォームで。見えませんけどw
ぽんは藤井寺球場を本拠地としていた近鉄バッファローズから「ノリ」のフォーム(バットを投げてますw)、ぺんさんはなぜかイチローのフォーム(片足が上がってますw)で構えてます。なぜ?
…このあたりに世代を感じるのぉ。こんなポーズをとるあたり、遍路の厳しさがわかってない現われですなぁ。後から見るとなんと哀れな…。
山門には巨大なわらじ(長さ4mくらい?)があります。このお寺で始めて見ましたが、この先のお寺でも何度か目にすることになります。

お寺に到着すると「仙台バイクさん」と「やなぎや軍団」が先に到着されてましたが、ちょうど入れ違いになる形になりました。よかった。
そのかわりに9番札所の法輪寺で姿を見かけた初老のご夫婦が後からやってきました。法輪寺のところでは書きませんでしたが、このご夫婦はご朱印帳ではなく、掛け軸にご朱印を頂いているようです。ご朱印はご朱印帳以外にも、掛け軸、おいづる(遍路装束)にも頂くことができます。四国遍路公認のものでなければ頂けないのですが、おいづるは「死に装束」としては最高のものだそうです。時期が近づいたら、おいづるにもらうというのもいいかもしれませんね。ちなみに普通に着用するおいづるではなく、ご朱印を頂く専用のものに頂くそうです。
到着時間も中途半端で、次の12番札所「焼山寺」までは車で2時間と距離も遠く、道も険しいと聞いていたので、早々に次への移動はあきらめていました。当初の予定では初日は12番までまわるはずだったのですが、朝からさぬきうどんを堪能し、昼にはそばに舌鼓を打ち、なれないお経と団体によるかく乱戦法にやられ、時間をすっかり浪費してしまったことが原因なのですが、後から考えれば、初日に予定通りまわらなかったことが、あれほどまでに、ぽぺを苦しめることになろうとは、このときには露ほども感じなかったのです。
そんな先の心配はかけらもせず、10月にしては高い気温と、用意してきた長袖スタイルに汗をかきながら初日の行程を回ったぽぺは、ようやくおとづれた夕方のさわやかの空気と団体遍路のいない静かなお寺を満喫しながら、お参りをするのでした。でも、結局、お経の息はあわないままでした。11寺、22回もお参りしたのに…。









さて、この藤井寺の裏手からは、焼山寺まで歩いていける遍路道があります。距離は車移動よりも短くなりますが、四国遍路に残された最後の「遍路ころがし」と言われるほどの難所で、今までに読んだ歩き遍路行のどれをとっても、前半のクライマックスとして描かれる行程です。ぽぺはそんな遍路ころがしを歩くつもりは全くありませんでしたから、入口の看板だけを見て終わりにしました。そりゃそうです。車でまわってるんですからwww


「遍路ころがし」は歩き遍路だけではない…。
そんな現実に直面することになろうとは、このときのぽぺには予測すら困難なものでした。
とにもかくにも、初日の日程を終えたぽぺは、藤井寺を後にして、徳島市内のホテルへ向うのでした。
16時38分、藤井寺を出発。
ねこぺんろ その11 - 10番札所「切幡寺」 [遍路]
2007年10月5日(金) 晴れ 最高気温27度
(徳島県阿波市 10番札所「切幡寺」)
15時15分、10番札所「切幡寺」着。
正式名称は「得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)切幡寺(きりはたじ)」
ご本尊は千手観音菩薩さま。

このお寺の縁起はなかなかおもしろいです。
修行中のお大師さまが、ほころびた僧衣を繕うために機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切り裂いて差し出した。これに感激したお大師さまは何かお礼をしたいので、何か願い事はないかと娘に問うたところ、父母のために千手観音菩薩を刻んでほしいのとのことであった。そこで、その場で像を刻み、娘を得度させ、灌頂を授けた(要するに出家させたということです)ところ、娘はたちまち即身成仏(生身の身体のままで、悟りを得ること)して、千手観音の姿になったそうな。
このことを時の帝に伝えたところ、勅願(帝の依頼)が下ったため、堂宇を建立し、お大師さまが彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置して本尊としたとのこと。このあたりのお話がお寺の名前にもなっています。
このお寺はとても高いところにあります。本来は階段でのぼるのですが、整備が進んでいて、車で本堂のすぐ近くまで登ることができます。でも、この坂道がすごい!!真っ縦というのか、車がひっぺがされるかと思うくらいの急でうねった道で、運転するぺんさんも顔がひきつってましたし、助手席のぽんや後部ガラスの真下にいた3ぴきの仲間たちのうち、もっとも小さな「うりうり」が吹っ飛んでました。(写真はないです。)


かなり左右に振られたため、ぺんさんはまだ元気だったものの、ぽんはすっかりやられました。上りの途中で山門がありましたが、途中で止まると最後まで登りきれないかもしれないと思い、山門での撮影は帰りにすることにしました。写真ではわかりませんが、ぐったりと座り込んでしまっています。
境内にたどりつくと、「やなぎや号」と「仙台バイク」のバイクを発見しましたが、本堂に向うと「やなぎや軍団」も「仙台バイク」さんも姿はなく、すでにお参りを終えていたようでした。おかげでぽこぽこ音に悩まされることはありませんでしたが、10寺目を迎えているというのに、まだ息があわないお経をあげるぽぺでした。







15時43分、切幡寺を出発。
ここで、ご朱印とお姿をご覧頂きましょう。


(徳島県阿波市 10番札所「切幡寺」)
15時15分、10番札所「切幡寺」着。
正式名称は「得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)切幡寺(きりはたじ)」
ご本尊は千手観音菩薩さま。
このお寺の縁起はなかなかおもしろいです。
修行中のお大師さまが、ほころびた僧衣を繕うために機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切り裂いて差し出した。これに感激したお大師さまは何かお礼をしたいので、何か願い事はないかと娘に問うたところ、父母のために千手観音菩薩を刻んでほしいのとのことであった。そこで、その場で像を刻み、娘を得度させ、灌頂を授けた(要するに出家させたということです)ところ、娘はたちまち即身成仏(生身の身体のままで、悟りを得ること)して、千手観音の姿になったそうな。
このことを時の帝に伝えたところ、勅願(帝の依頼)が下ったため、堂宇を建立し、お大師さまが彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置して本尊としたとのこと。このあたりのお話がお寺の名前にもなっています。
このお寺はとても高いところにあります。本来は階段でのぼるのですが、整備が進んでいて、車で本堂のすぐ近くまで登ることができます。でも、この坂道がすごい!!真っ縦というのか、車がひっぺがされるかと思うくらいの急でうねった道で、運転するぺんさんも顔がひきつってましたし、助手席のぽんや後部ガラスの真下にいた3ぴきの仲間たちのうち、もっとも小さな「うりうり」が吹っ飛んでました。(写真はないです。)


かなり左右に振られたため、ぺんさんはまだ元気だったものの、ぽんはすっかりやられました。上りの途中で山門がありましたが、途中で止まると最後まで登りきれないかもしれないと思い、山門での撮影は帰りにすることにしました。写真ではわかりませんが、ぐったりと座り込んでしまっています。
境内にたどりつくと、「やなぎや号」と「仙台バイク」のバイクを発見しましたが、本堂に向うと「やなぎや軍団」も「仙台バイク」さんも姿はなく、すでにお参りを終えていたようでした。おかげでぽこぽこ音に悩まされることはありませんでしたが、10寺目を迎えているというのに、まだ息があわないお経をあげるぽぺでした。







15時43分、切幡寺を出発。
ここで、ご朱印とお姿をご覧頂きましょう。



ねこぺんろ その10 - 9番札所「法輪寺」 [遍路]
2007年10月5日(金) 晴れ 最高気温27度
(徳島県阿波市 9番札所「法輪寺」)
14時35分、9番札所「法輪寺」着。
正式名称は「正覚山(しょうかくざん)菩提院(ぼだいいん)法輪寺(ほうりんじ)」
ご本尊は涅槃釈迦如来さま。「涅槃」とは、本来は煩悩の消し飛んだ悟りを得た状態のことを言いますが、如来(悟りを得た仏さま)の死そのものを指しており、お釈迦さまがお亡くなりになられるときの姿をかたどった像をご本尊としています。このお寺の開基もお大師さまで、この地にやってきたお大師さまが、仏さまの使いといわれる白蛇を見たことから、お釈迦さまの涅槃像を刻んで本尊としたそうです。

前の札所の熊谷寺からこのお寺まではとても近く、当然といえば当然ですが、「やなぎや軍団」と遭遇しました。あいかわらず、高らかに鳴り響くぽこぽこ音。でも、さいわいなことに熊谷寺でぽぺがご朱印を頂いている間に、ご朱印をもらわずに回っている「やなぎや軍団」は早々に法輪寺に到着していたため、ぽぺがお参りを始める頃には、「やなぎや軍団」はお参りを終えて、立ち去ろうとしていたのでした。「やなぎや軍団」が立ち去った法輪寺には本来の静けさが戻り、ぽぺは安心してお参りを始めるのでした。でも、やっぱり息はあいません。







本堂でのお参りを済ませ、大師堂に向います。大師堂にはペットボトルに入った美しい千羽鶴がありました。この後のお寺でもこの千羽鶴をときどき見かけるのですが、単にお経を唱えるとか、写経をおさめるといったことよりも手間のかかる方法で、祈りのこころを形にする人がいるのだなぁと感心するのでした。お遍路というものは軽い気持ちでまわるひともいますが、こうしたものをみると一人一人が背負ったものの重さを感じます。

また、このお寺では始めて托鉢をするお遍路さんを見ました。このときは知識もなく、「大変だなぁ」程度にしか思いませんでしたが、寺の中での托鉢は基本的に禁止されており、このお遍路さんも山門の外で托鉢をしておられました。托鉢も楽ではありません。托鉢という行為は、修行のひとつで、物乞いをして日々の命をつなぐものです。ただ恵んでもらえばいいという形だけのものもありますが、このお遍路さんは本来真っ白なはずの遍路装束も黄色く染まっており、形だけの托鉢をしているのではなく、本当に托鉢によって、命をつなぎながら、遍路をおこなっていたのではないかと思います。まさに命がけの遍路だと思いますが、こうすることによって、「自分が生かされている」「自分の命は自分だけのものではない」ということを切に感じるのだと思います。簡単に命を断ってしまうひとの話をよく耳にしますが、死ぬ気があるのならば、自分の命を他に預けて、遍路をまわるというのも良いのではないかと思います。このときはわかりませんでしたが、今のぽんは、この托鉢のお遍路さんのように「命を預けて遍路をまわってみたい、途中で行き倒れてもいいかも」という考え方がとてもよくわかる気がします。
でも、このときの煩悩に満ちたぽぺは、托鉢のお遍路さんよりも、その前にあるお店で売っていた草もちの方が気になるのでした。


15時、法輪寺を出発。
(徳島県阿波市 9番札所「法輪寺」)
14時35分、9番札所「法輪寺」着。
正式名称は「正覚山(しょうかくざん)菩提院(ぼだいいん)法輪寺(ほうりんじ)」
ご本尊は涅槃釈迦如来さま。「涅槃」とは、本来は煩悩の消し飛んだ悟りを得た状態のことを言いますが、如来(悟りを得た仏さま)の死そのものを指しており、お釈迦さまがお亡くなりになられるときの姿をかたどった像をご本尊としています。このお寺の開基もお大師さまで、この地にやってきたお大師さまが、仏さまの使いといわれる白蛇を見たことから、お釈迦さまの涅槃像を刻んで本尊としたそうです。
前の札所の熊谷寺からこのお寺まではとても近く、当然といえば当然ですが、「やなぎや軍団」と遭遇しました。あいかわらず、高らかに鳴り響くぽこぽこ音。でも、さいわいなことに熊谷寺でぽぺがご朱印を頂いている間に、ご朱印をもらわずに回っている「やなぎや軍団」は早々に法輪寺に到着していたため、ぽぺがお参りを始める頃には、「やなぎや軍団」はお参りを終えて、立ち去ろうとしていたのでした。「やなぎや軍団」が立ち去った法輪寺には本来の静けさが戻り、ぽぺは安心してお参りを始めるのでした。でも、やっぱり息はあいません。







本堂でのお参りを済ませ、大師堂に向います。大師堂にはペットボトルに入った美しい千羽鶴がありました。この後のお寺でもこの千羽鶴をときどき見かけるのですが、単にお経を唱えるとか、写経をおさめるといったことよりも手間のかかる方法で、祈りのこころを形にする人がいるのだなぁと感心するのでした。お遍路というものは軽い気持ちでまわるひともいますが、こうしたものをみると一人一人が背負ったものの重さを感じます。

また、このお寺では始めて托鉢をするお遍路さんを見ました。このときは知識もなく、「大変だなぁ」程度にしか思いませんでしたが、寺の中での托鉢は基本的に禁止されており、このお遍路さんも山門の外で托鉢をしておられました。托鉢も楽ではありません。托鉢という行為は、修行のひとつで、物乞いをして日々の命をつなぐものです。ただ恵んでもらえばいいという形だけのものもありますが、このお遍路さんは本来真っ白なはずの遍路装束も黄色く染まっており、形だけの托鉢をしているのではなく、本当に托鉢によって、命をつなぎながら、遍路をおこなっていたのではないかと思います。まさに命がけの遍路だと思いますが、こうすることによって、「自分が生かされている」「自分の命は自分だけのものではない」ということを切に感じるのだと思います。簡単に命を断ってしまうひとの話をよく耳にしますが、死ぬ気があるのならば、自分の命を他に預けて、遍路をまわるというのも良いのではないかと思います。このときはわかりませんでしたが、今のぽんは、この托鉢のお遍路さんのように「命を預けて遍路をまわってみたい、途中で行き倒れてもいいかも」という考え方がとてもよくわかる気がします。
でも、このときの煩悩に満ちたぽぺは、托鉢のお遍路さんよりも、その前にあるお店で売っていた草もちの方が気になるのでした。


15時、法輪寺を出発。